感情のごみ箱。音楽と映画と小旅行がオアシス。映画の評価は★=1.0、☆=0.5で5つが最高。(+は個人的趣味加算・笑)

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2008-05-30 Fri 20:49
「つぐない」感想

●つぐない/Atonement(原題)
●'07/R/UK・French/130 min
●監督:ジョー・ライト
●キャスト:キーラ・ナイトレイ/ジェームズ・マカヴォイ/シアーシャ・ローナン
●映像・音楽:★★★★☆
●ストーリー:★★★★☆
●総評価:★★★★☆


一生掛けて償わなければならない罪がある。
一生掛けても償えない罪がある。
いつまでも頭から消えないのは、セシーリア(キーラ)が暗い地下道で一人目を開けて横たわる姿。
いつまでも耳から離れないのは、ブライオニー(ローナン)が一心不乱に打つタイプライターの音――。
あまりにも切なく、あまりにも辛いこの物語。
一人の少女がついた、たった一つの嘘。
それが深く愛し合う二人の男女を引き裂き、人生を壊し、そして己の人生までも壊してしまった。
得てして少年少女時代とは、想像力が豊かで感性が鋭く、妄想癖に取り憑かれがちなもの。
小説家を目指し戯曲まで書き上げてしまう穢れなき、秩序を愛する少女の想像力と妄想が、その嘘を産んでしまったことを責めても、それは少女時代という普遍を責めるのと同じことなのかもしれない。
ブライオニーは後に己の「罪」を自覚し、その罪を償おうとする。この、嘘から罪の自覚までに時間を要してしまうのが、幼さ故の愚かさというところか。
一方、大富豪の家を出て、ナースになりロンドンのアパートで暮らすセシーリアと、戦争中のフランスへ派遣されたロビー(マカヴォイ)の二人。
二人は、数年ぶりに30分だけロンドンで再会して、また離ればなれになる。
お互いへの愛と海辺の家で暮らす夢を確認し合ったまま。
姉セシーリアへの償いから、大学を諦め、自らナースになったブライオニーはやがて、セシーリアの住所を突き止めて謝罪へ向かう。そこにはロビーもいるのだから。
けれど・・・。
一生を掛けて償わなければならない程の罪は、実は一生を掛けても償えないものなのかもしれない。
ブライオニーは果たして贖罪できたのか?
セシーリアとロビーの二人は、ブライオニーを赦すことができたのか?
ラスト、凛然とインタビューに答えるブライオニーと、海で笑顔ではしゃぐセシーリアとロビーの二人。
・・・結末は、ああ、狂おしいほどに切なくて、込み上げる涙を止めることができなかった。傑作

原作はイアン・マキューアンの「贖罪」、監督は「プライドと偏見」のジョー・ライト。
そして本年度GG作品賞受賞作品であり、オスカーノミネート作品でもある。
やはりジョー・ライトは素晴らしい、希有の才能を持った監督だった!!!!と実感させられた本作。「プライドと偏見」が初の監督作品だと知って驚愕したのは記憶に新しい。
そしてジョー・ライト×キーラ・ナイトレイの黄金律はここでも証明されたわけだ・・・。
まず、多くの感想に見るように、タイプライターの音の使い方が本当に秀逸!!!!
それからうるさい虫の羽音が、想像力豊かなブライオニーの頭に響く警告(アラーム)音の様に使われていて、うーん上手い!!!と唸るしかない。
音楽と映像もやはり素晴らしく、「プライドと偏見」が陽だとすれば、こちらはまさに陰と言うべき。
1935年の舞台であるタリス邸(豪邸)は華やかで優美、そして何故か暑苦しさと陰りに満ちている。
明るいのだけど薄暗い大豪邸を真っ白なドレスで機械のように歩き回る幼いブライオニーの姿と、彼女の真っ青な瞳、そばかすのある白皙の肌が印象的だ。
セシーリアや母親の緑や赤のドレスもゴージャスで、まさしく夢のよう。
一方で、1940年の舞台である戦場のフランスや戦時中のロンドンの描写は、汚れて凄惨で、リアル。
光と影の使い方がこんなに上手い監督はそうそういないんじゃないか?
時系列のイジり方がまた憎らしいくらい巧く、ブライオニー視点とセシーリア・ロビー視点を、現在・過去で見せることで、二つの立場を上手く見せてくれている。
キャストは、キーラはもちろん、マカヴォイとローナンが本当に素晴らしくて(゚∀゚)ノ
特にローナンは、ブライオニーの繊細さ、穢れのなさ、無邪気さ、それでいて気味の悪さを怖いくらい上手く演じていたと思う。すげえ。
残念なのは、地味な作品(しかも英映画)ゆえかごく限られた劇場でしか上映されなかったこと
DVDでもいいので、是非観て欲しい傑作です。
(以下はネタバレ。絶対にネタバレしない方がいいので、観てない人は読んじゃダメ(・∀・))
最後のどんでん返しで、「ああ、やられた・・・」と思った。
そういうことだったのか、と。
全てはブライオニーの嘘から始まり、彼女の、彼女にしかできない、彼女なりのやり方で贖罪して、終わると。
贖罪とはつまり「罪を贖う」ことであって、そこに相手から赦されることは、必ずしも必要じゃない。
結局ブライオニーは、二人に赦されることはなかった。
許しを請う前に、二人に対して面と向かって贖罪する前に、二人は死んでしまったのだから。
浜辺でじゃれ合うシーとロビーの姿・・・これが実は、ブライオニーの贖罪=想像でしかなかったなんて、あまりにも切ないよ・・・。
シーとロビーのアパートを訪れ、謝罪したことが想像だっただけでなく、実は二人が再会し、愛を確かめ合い、一緒に暮らしていることさえ想像だっただなんて・・・。
この映画の観客は、アパートの窓辺でキスをする二人・海辺の家で暮らす二人の姿を見た後に、年老いた小説家ブライオニーの口から事実を知らされることになるのだけど、この上手さ・憎さと言ったらないよね(感嘆)
そんなに都合良く、罪を償えるものかと。
人の人生を狂わすほどの嘘を、そんなに想像通りに贖えるものかと。
贖罪は、しようと思っても簡単にできるものではない。
主観的にも、客観的にも。
それをこの映画は教えてくれている気がする。

非常に印象的だったのが、セシーリアが薄暗い地下道で横たわっているシーン。
光の刺さない水の中をゆらゆら漂う彼女の姿が頭から離れない。
同じ年に死んだなんて、それも一種の運命だったのかもしれないけど、それにしても・・・辛い。
結局、二人にあったのは5年前の図書館でのあの時だけ(つД`)・゚・。・゚゚・*
この図書館のシーンも、長い手足を投げ出して緑のドレスを纏ったまま本棚に張り付いたセシーリアの姿が印象的だった。ゾッとするくらいキレイで、残酷に見えて。
残酷に見えたのは、それがブライオニー視点だったからだろう。ブライオニーはあのシーンを、愛しい姉が陵辱されていると思ったのだから。
恐らくそこまで計算してこのシーンを撮った監督には、ホント脱帽
いやあ、ジョー・ライト。
またいつか、是非ともキーラと組んで欲しいもんです
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